HCD(学園祭)にて演劇部が公演した「GOLD」がついに動画公開となりました。
部員たちによる優れた脚本と、迫真の演技力にぜひご注目ください。
【 顧問雑感 】
創作劇を作る過程では、毎回演劇部内でさまざまな話し合いを重ねる。今回の作品「GOLD」も初期にはまだテーマが定まらず、そのぶん多様な話題が浮かび、あるものは消え、あるものは深まり繋がり広がりながら台本の中に編み込まれていった。
命には限りがある。私たちはみな、それを知っている。知っているのにきれいに忘れ、永遠を手に入れたかのような傲慢な振る舞いで、誰かを傷つけたり何かを壊したりする。そして自分にとって大切な誰かや何かを失った時だけ、足を踏み外したような驚きと共に我にかえる。
話し合いの中で、「運命は決まっているか」という話題になった。決まっていないと答える人は大抵「自由でありたい。何にも縛られたくない」という思いを口にした。それに対して、運命は決まっているという人は、「行動はいくらでも自由に変えられる。その変える自由も含めて、実は運命だったというだけ」と説明した。
「奇跡という言葉がある以上、奇跡はあるのだ」と言ったのは誰だったか。それなら運命もまた「ある」ことになる。従うのも抗うのも自由なら、それはやはり「ない」のと同じ、と思いつつも運命という言葉を時どき口にしてしまうのは、心のどこかに何かに守られ支えられていたいという不安があるからだろうか。そしてその不安は、私自身が限りある命であることを、実は片時も忘れていないという証拠かもしれない。
奈良県の大和郡山市は、江戸時代から続く金魚の一大産地である。養殖されているのは高級魚ではなく、金魚すくいでお馴染みの「小赤」という品種。今年は養殖が始まって300周年だという。短い命の小さな生き物に愛着を寄せるとき、愛しさと同時に儚さに胸をつかまれる。そして映し見る。自分もちっぽけな存在であることを。
金魚の命から私がどんなに学びを得たとしても、金魚は私のために死んで見せてくれたのではない。金魚は、ただ自分を生きたのだ。私たちもまた、そうであるように。
木村恵美