演劇部のクリスマス公演の動画ができました。
ぜひご覧ください!
【顧問雑感】
国語の教員にもいろんなタイプがあると思うが、演劇をやってきたせいか幼い頃からの癖か、私はいつも小説の主人公にはつい感情移入し同化して、ストーリーを追体験しながら授業を進めがちだ。だから試練の多い主人公だと、とても疲れた。
中学国語を集中的に担当していた頃、何度も「走れメロス」を扱った。猜疑心に蝕まれた邪智暴虐の王の心を糺すため、牧人メロスは自分と親友の命を賭けて試練に立ち向かい、「人間は信ずるに値する」ことを証明する。愚かな王に愚かな約束をするメロスに呆れつつも、太宰の流麗な文体に煽られ、私は主人公と共に何度も十里の道をひた走り、山賊と戦い、激流を泳ぎ、倒れ、水を飲み、また走った。
王城が近づいた頃、メロスの口からなぜ自分が走っているのか真の理由が明かされる。「間に合う、間に合わぬは問題でないのだ。人の命も問題でないのだ。私は、なんだか、もっと恐ろしく大きいものの為に走っているのだ。」……それって、太宰ですよね……?
作家は自分の作品の登場人物に自由に試練を与える。他人も自分も疑い続け、終には自死した太宰が、たった数年間、人を信じ心の安寧を得た時期に書き上げた「走れメロス」。太宰は他の誰でもなく、自分の救済ためにこの作品を書いたのだ。
アンデルセン童話「マッチ売りの少女」の主人公も、厳しい家庭環境のもと寒空に過酷な労働を強いられ、路地裏でひっそりと息絶える。幼い子どもになぜこれほどの試練を与え、命を奪うのか。現実にはもっと絶望的な環境に置かれた子どもたちがいるとしても、作者はゼロからストーリーを立ち上げる圧倒的な権限を持つ。その力で、生かすも殺すも自在に登場人物を動かし描き上げる物語に、別の選択肢はなかったのか。
いや、わかってます。善なるものだけ書けと言いたいわけではない。私とて創作者の端くれなので、死も暴力も犯罪も、必要であれば躊躇なくストーリーに盛り込む。ただ、登場人物たちは、作者によって定められた人生から一瞬たりとも逃れることなく作品の中に閉じ込められることに責任を持ちたい。与える試練に必然性がなければ、人の心を揺さぶるわけもないのだ。歴史に名を残す文豪に限らず、あらゆる創作者の多くがそんなことは百もご承知だろうけど。何度でも、自戒を込めて。
夏のホームカミングデー公演『檸檬』以来、ぐっと演技力を増した部員たちのために、今回、久しぶりにオリジナル脚本を書き下ろした。学級閉鎖に見舞われて練習が思うように進まないのは冬公演の宿命だが、一人ひとりの作業と活動をきちんと積み上げ、追い込んで、新しい試み(プロジェクター投影・星空特殊照明など)をいくつも盛り込んだ良い劇が出来上がったと思う。
これは、主人公マチにではなく、マッチ売りの少女に起こったクリスマスの奇跡。このストーリーを、すべての「おはなしの主人公」に捧げたい。
木村恵美