本校のHCD(文化祭)において、演劇部が創作劇「檸檬 ―梶井基次郎作『檸檬』より―」を上演しました。
本作は部員自らが脚本を手がけ、顧問の指導のもと練習を重ねて創り上げたオリジナル演出の作品です。
当日の舞台では、登場人物の心情や物語の世界観を丁寧に表現し、多くの来場者に楽しんでいただきました。
公演の様子はYouTubeでご覧いただけます。ぜひご覧ください。
【顧問雑感】
今年は梶井基次郎の『檸檬』が発表されて100周年である。とは、つい最近知った。今回の演劇部での劇化は偶然である。作者(高1部員)の脚本の形が見え始めた頃から、私の中で静かに流れ始めたエリック・サティの「ジムノペディ第1番」を、劇の主要なBGMに決めた。ふと思い立って調べると、梶井とサティは同時代に生きていた。偶然である。
意味にとらわれがちな私たちは、たくさんの偶然の中に必然やら運命やらを見出し、感動し、畏れ、ピソードとして消費する。起きている事象そのものと意味づけとの関係は不確実なままで。だから、一つの事柄を巡って解釈は分かれ、私にとって大切なものがあなたにとって何の価値もなかったり、同じ経験をしても、ある人は悲しみある人は喜ぶのだろう。この劇の登場人物たちのように。
彼女の最初の案では、原作に倣ってか主人公が男性だった。これを女性の、しかも自分と同じ高校生に設定し直したことで、キャラクターの心理を追い込むセリフの精度が一気に上がった。また「果物屋」の人物化という驚くべきアイデアなど、原作という縛りを大胆自在に組み替える着想が大変興味深く、飛躍の隙間を埋める言葉を一緒に探すのも楽しかった。
執筆にあたって、彼女が初期に部内で取ったアンケートの中に「喪失感がひどいことはあるか」「自分が抱えている闇は」という問いがあった。16歳の日常を埋める喪失感と闇は、梶井が『檸檬』で描いた心情を柔らかく読み解き、劇の中心に危うい素材を据えることで、梶井が檸檬に授けた意味の深部を掴み出すことに成功したのではないかと思っている。
意味から逃れ切ることは難しいが、自分が一度読み取った意味を疑い、幾重にも解釈し直す胆力を持ち続けるのもまた難しい。創作劇の工程は常にその繰り返しである。こうして完成した台本を読み込み、登場人物を立体化する俳優陣の取り組みを深めるため、今回初めて、俳優の経験を持つ友人の甲山万友美さんに、役作りの基本的な方法を指導していただく貴重な時間を得た。十代にとってはこれもまた初の試行錯誤で、おそらくは本番中にも発見や進化がある終わりのない格闘である。
演劇部の劇は長いのか。45分間という重さの中に、作者の思考や、俳優の努力や、音響照明スタッフの精密な仕事や、道具装置へのこだわりが詰まっている。さまざまな楽しい催しが展開するホームカミングデーという1日の中の45分間をここで過ごすと決めてくださった観客の皆様には、心から感謝したい。その期待に応えられる劇が、見ていただけると思っている。
木村 恵美(顧問)